警察官を半年でクビになった後、
私はひきこもりになった。
疲れてボロボロだったっていうこともあるけど、
やっぱり一番の理由は・・・・・・・・
「なにすりゃいいかわからん!」だ。
(本物の陰キャ)
なにせ今までの人生はぜーんぶ!!!
『警察官になるため』だけに生きてきた。
・・・だから警察官をクビになってしまった今、
どう生きていけばいいのかわからなかった。
1日中!!!布団で丸くなって!!シクシク泣いて!!!
夜も眠れなくて!!失神するように眠る虚しい毎日!!!
(うわああああああああああ・・・・・)
・・・・そんな時、父が部屋にやってきた。
「えっ!?父さん!!!?」
私はビックリして布団から飛び起きた!!!!!
別に驚くようなことは何もないように見えるだろう。
『落ち込んだ我が子を励ましにやってきた優しい父親』
よくある一般的な家族の一般的な風景である。
(アッハハハアッハハハハ)
だけどウチの家庭は違う!!!!
雇われ経営者をしていた父は仕事が忙しかったせいか?
私が幼い頃からほとんど家に帰らず。
・・・・・生まれてこの方、
父と会ったのは数えるほどしかなかった。
だからちゃんと会話を交わしたことなんて
今日の今日までなかったのだ!!!!!!
(あの・・・蒸発気味の父が・・・!?)
すると父は私に向かってこう話はじめた。
「おまえはじーちゃんそっくりだな」と。
こうして私と父は、生まれて初めて
面と向かい合って会話を始めた。
まず、私の家系は少し複雑で、
「じーちゃん」が三人いた。
(戦後という時代のせいで)
その中の一人の・・・じーちゃんは、
若い頃「演奏家」をしていたらしい。
楽器片手に日本全国を渡り歩き、
音楽で飯を食っていこうとしてたとか。
(そりゃ凄い話だ・・・・)
だけどじーちゃんは長男で、跡取り息子だったので、
結局、家に呼び出され『家督』を継ぐことになった。
当時、私の実家は『クソ田舎の地主』で、
それなりの資産を持ち合わせていたようだ。
(わが一族は○○城主の末裔で~みたいな話してたわ)
とにかく、じいちゃんは演奏家の道を諦め、
地元の『楽器工場』に就職をした。
楽器職人になるためだ。
演奏家としての人生はもう終わり。
だけど大好きな音楽にこれから少しでも
関わっていたい、と思ったんだろう。
なんとも不憫な話なんだけど・・・・
じいちゃんはとても聡明な人だった。
なんと・・・若くして一流の楽器職人になり、
会社を代表して『天皇陛下』に自分が造った
『楽器を献上』することにまでなったのだ!!!!
(そりゃすげーや)
この名誉を一族の誰もがほめたたえた。
「さすがだ!!」と「一族の誇りだ!!」と。
・・・・まぁ・・だけど
人生そう美味い話はない・・・
その名誉がじーちゃんの人生を終わらせた。
結局・・・・会社の先輩や同僚たちは、
じーちゃんを妬み憎むようになり、
じーちゃんは社内で『イジメ』を
受けるようになってしまったのだ。
(出る杭は打たれる)
・・・・とにかく、じーちゃんはぶっ壊れた。
もう楽器を造れなくなり、会社を辞め。
家に引きこもるようになってしまった。
それも約40年。40年だ!!
死ぬまでずーっと引きこもっていたらしい。
私もじいちゃんが引きこもっていたことは知っていた。
だけどそれまでの経緯や理由は全く知らなかった。
じいちゃんは死ぬまで家に引きこもって死んだのだ。
(・・・・・・・・)
当然、優秀だったじーちゃんを失った一族は分裂。
骨肉の遺産争いが行われたあとは骨も残らなかった。
その後、廃人になったじーちゃんはいつも
縁側に座ってボーッと庭園を眺めながら
自分で造った「手製のハーモニカ」で、
「ふるさと」という曲が吹いていたそうだ。
(ウサギ美味しい)
まっ・・・・・・父がしてくれた、
じいちゃんの話はそんな感じだ。
じいちゃんは私が幼い頃に死んだから。
ほとんど覚えてることない。
ただうっすらと・・・・・・
ときどき縁側で抱っこしてくれて
一緒に日向ぼっこした記憶はある
大きくなると近所のじーさんばーさんから、
「おじいさんにそっくりね!!」と
言われることがよくあった。
「どんな人だったんですか?」と尋ねると
「穏やかで優しい人だったよ」と言っていた。
そういう人間だから人間の妬みや恨みに
飲み込まれてしまったんだろうな・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・で
父は引きこもりになった私に説教はしなかった。
ただ、このじーちゃんの話だけをして去っていった。
・・・だけど言いたいことは十分伝わった。
わかったよ・・・・・
私まで、ひきこもりになっちゃったら
きっとじーちゃんも悲しむもんな・・
こうして私は・・・・もう一度、
人生をやり直すことにした。
18歳。警察官をクビになって数か月。
もう冬になる頃だった。